キャリアパスは自ら作れ 自分の世界は自分で作れ

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はっきり言って負け組?

先日こんなことがあった。

ある頼みごとをとある知り合いから頼まれた。

1〜2時間程度のインタビュー依頼だった。

バブル世代で伝統的な大手企業に就職した人たちのキャリアパスについてのアカデミックな研究で、そのサンプルとしてのインタビュー依頼。

当時の就職活動のことや現在までのキャリア、今後のキャリアイメージについて。そういったテーマのインタビューで、自由に語ってもらう。というもの。

私の出身大学で、今も伝統的な大手企業に在籍中のそういった人間を紹介してくれないか、という依頼があり、心当たりがあったので、お願いしてみた。

その相手への取材のつもりで頼んだのだが、他の人を紹介して欲しい、という依頼だと誤解をされ、断りの連絡がきた。

  • この年代はそこそこ忙しい。
  • 知らない相手に1〜2時間も時間を割けるのは暇なやつで、はっきり言って負け組。
  • バブル期の就職なんて、悪い取り上げられかたをするのではないか。
  • 最悪自分で良ければ受けるけど、人にはとても頼めない。

その相手は、自分が本社ではなく、既に子会社に出向しているから対象外だと思っていたらしい。

子会社籍でもいいのだ、と誤解を解いて、結局のところはその相手に依頼を受けてもらえた。

おいおい、ところでその、

「はっきり言って負け組」って、

え?

何言ってるんだ??

狭い世界観に囚われて

自分も大企業に長くいたからわかる。

そりゃそうだ、みんな忙しい。というか「常に忙しい」か、「忙しそう」にしている。

そんな中で、知らない人の頼みごとにただで答える義理もない。

しかもこれは会社の仕事じゃないし、評価にならないどころか余計なことでしかないから、マイナスにしかならない。

自分自身得るものがありそう?その気づきを自分に活かせそう?

そんなのは会社には関係ない。相手にするメリットを感じない。会社の中の仕事が全て。関係のないことに時間を割く、そんな余裕はない。

無駄。

交差点

かつての自分もそうだった。

大きな組織にどっぷりと浸かると、そしてそこに長くいればいるほど、そこの世界しか見えなくなる。

誰かが決めた世界で生きていると、その誰かの物差しで周りの世界を測ってしまう。

そういうことなんだな、とすぐにわかったのだが、

そんなことを、外の人間にあからさまに表明して、そういう自分に違和感を感じないのか?

恥ずかしいとか、思わないのか?

本心だとしても、そんなことわざわざ言わなくてもいいのではないか?

そう反射的に思ってしまった。

いや、そうか。そうだった。

かつての自分も、まるで同じだった。同じような世界で生きていた。同じような価値観で物事を捉えていた。

かつて、

大企業の中で、命じられた役割に一生懸命応える人生を、20年以上過ごしてきた。

出世を目指し、期待される役割を全うし、期待以上に成果を出そうと、過剰に応えようとして、自分の本心を殺して、周りの目を気にして、評価を気にして過ごしていた。

その世界が壊れることがないと、どこかで思っていた。

ここで頑張ることでいつか報われると、どこかでその場を、何かを、誰かを、信じていた。

この場が全てだと思っていた。

大きな場に、姿の見えない、捉えきれない大きさの何かに、物語に、依存していた。

そういうメンタリティーだった。

そのこと自体が、良い、悪い、ではない。

ただ単に、見えている世界が狭かった、ということだ。

そして、その世界にいると、

外のもっともっと広い世界のことは、理屈ではなく、実感が伴わないと、本当の意味で見えてこないものだ。

大企業で長く過ごし そこを飛び出して

今から5年程前だろうか。

初めて「異動希望」を出した。そこから生き様が大きく変わった。

それまでも、チャレンジしてきていたつもりだった。

そう、してはきていたのだが、与えられた枠の中での、その範囲から飛び出さない中でのチャレンジだった。

大きな会社に入社して

22歳の春。

会社は3年で辞めて、自分で道を切り開く、キャリアを積み上げていく、ここではないどこかを作り出して、何者かになるのだ。

こういった思いを抱いて、とある大企業に入社した。

大きな会社に入社して、たまたま配属された部署で仕事を始めた。

最初はまったく何もできなかった。遮二無二取り組んだ。

徐々に結果が出るようになり、手応えを感じだした。

後輩の教育を任され、チームのリーダーを任され、TOPの業績をあげるようになった。管理職になった。

手応えを感じるようになり、いつの間にか10年以上、ここで過ごしていた。

そうして、その頃にはもう、「ここでのし上がるぞ」「出世していくぞ」と、キャリアパスとしてはそれしか見えない自分になっていた。それしか、頼りに出来る世界を持っていない自分になっていた。

その後、大きな部門変更の異動はあった。だが、そこも同じ会社だ。これまでと同じようにその与えられた世界でチャレンジをする、というスタンスで取り組む道を繰り返した。

新しい部門にしがみついて必死に仕事を覚え、また上を目指すようになっていった。

そうして様々なことがあり、もうその部門での出世の道が、あまり見えなくなっていた。その頃にはまた10年が経っていた。

  • ここでまだ消耗し続けるのか?
  • ここにしがみつくよりも、新たな道にチャレンジして浮上を目指すのがいいのではないか。

まだまだビジネス人生は続く。今のタイミングが、ちょうど折り返し地点なのではないか。またやり直すなら今ではないか、と思った。気力も体力もまだまだ充実している。

自分に問いかけてそう思ったら、もう我慢が出来なくなっていた。

  • これまでの、自分のこの会社でのキャリアを総括するような仕事に挑戦しよう。
  • ここで通用するのかどうか、自分から場所を変えに行き、チャレンジしてみよう。
  • これからの世の中で必須となるWEB、ITの知見を身につけよう。

そうして、異動希望を出し、自分の知らなかった世界に飛び込んでいった。

分かれ道

新しい世界に飛び込んで

飛び込んだ新しい世界は、自分のこれまでのがほとんど通用しない世界。

出来ないこと知らないことばかり。そんなに簡単に成果が出ず、評価もされず。しかし知らないことを覚えていくことは、出来ることが増えていくことは、無性に楽しかった。やりがいを感じていた。

ところが、大企業内での評価、という点では、どんなに頑張っても、この部署はマイナーな場所であり、頭打ちだった。

この会社で生き残るために、過去キャリアを積み上げていた部門に戻ることも考えてみた。

しかしそこには、戻ったとしても、頑張っても上限が見えてしまっている。

与えられた役割をこなしながら、過去の遺産を食いつぶしながらやっていっても、自分のキャリアは先細りしていくばかりだろう。

そんなキャリアにはやりがいを見出せなかった。

そうしたら、プロパー入社したその大企業にいる意味が見出せなくなってきた。

その後、副業で会社を起こした。その大企業から転職をした。そうして、今に至った。

新しい世界に飛び込んだことで、様々な出来事があったが、結局、自分の城を自分で作ることがやりたいことだったんだ、と、改めて気づいた自分がいた。

そうして今は、

自分で自分の仕事を作り出さないと明日も見えないような零細企業で、身の丈を大きく超えるような夢を見ている。

甘くはない世界で、必死に、しかしワクワクしがら、日々生きている。

実感を、手応えを感じながら、生きている。

まだ城は基礎づくり中で、出来上がるのはまだまだこれから。

しかし、向かってる方向は間違っていない。

このように、外に出たから感じる世界がある。見える世界がある。

経営する側に回ったから見える世界がある。

自立したからこそ、初めて見える世界がある。

外に出ると自分で自分の道筋を決めることが格段に増えていく。いや、ほぼ全てがそうなる。

それが当たり前になり、対応出来るようになってくると、もう大企業には戻れないメンタリティーになってしまう。

生きていく上で、ビジネスをしていく上で、大事にしたいことって、なんだろう。

考えれば、答えなどいく通りもある。

ただ、今は、

自分で自分の世界を作って生きていくことなのだ、と思っている。

それが、

心豊かな暮らしに、自分で仕事を生み出す楽しさや手応えに、経済的な自由に、時間の自由に、誰のものでもない自分の世界を作り出すことに、生きがいに、繋がっていくのだと思う。

今は、

自分の進んでいる道は間違っていないと、自分を取り戻すことが出来たのだと思っている。

続いていく道

キャリアパスは自分で作る 自分の世界は自分で作る

人生100年時代

人生100年時代と言われだして、もう数年が経つ。

その昔は55歳定年だったのが、60歳定年になり、65歳までの継続雇用が義務化されるようになった。

おそらくそう遠くないうちにそれが70歳に引き上げられる、そんな時代が来るのだろう。

大企業や官公庁のような大きな組織の世界の中でのやりがい。

人生100年時代、現役年齢70歳までになったとしても、地位も収入も成長も追いかけ続けることの出来るようなポジションは、限られてしまうことだろう。

誰かが与えてくれた世界。

そんなところでいつまで消耗しているのか。

限りある人生と時間が、もったいないのではないか。

自分で自分の世界を、城を、居場所を築いて、誰に気兼ねするでもなく、ありたい姿に向かってチャレンジし続ける人生の方が、間違いなく、楽しいではないか。

実感をもってそう思えている自分になっていた。

自分の世界を作り上げた友人達を 心から尊敬する

早くから会社を経営している友人達、独立した世界で生きている友人達。

彼らがとっくに知っていたことを、ようやく知った。

彼らは数年で大企業を辞め、自分達でビシネスを覚え、作り出し、沢山の失敗と成功を繰り返し、自分の足で立って生きてきた。経営者として世の中を渡り歩いてきた。

上手くいかないことがあった時に、環境や周りのせいにするようなことはなく、気に入らなければ自分で変えにいく、自分で動く、自責のメンタリティーで乗り越えてきた。

そうして立派に成功し、資産も築き上げた。

今は、誰に気兼ねをするでもなく、自分のやりたい仕事をやり、人生を楽しんで過ごしている。

夢、情熱の強さ。

攻めの人生を、楽しみながら送っていこうとするスタンス。

大企業で長くいて、生きがいだった出世の階段が見えなくなってきて、先細りのしがみつくような人生を送るようになる中ではなかなか持ち続けられなくなってくる、その生きる姿勢を、

今でも変わらず、むしろますます成長させながら、強く持っている。

そんな彼らを、強く尊敬する。

自分のキャリアパスを 自分の世界を作っていく

先日、以前の取引先から独立し、最近起業した方と会った。

その方は、その会社で出世コースに乗っていた。その会社も大きな会社だった。

たまたま、会社が経営幹部候補向けに用意したコーチングを受けたことがきっかけとなり、その会社で偉くなっていくことよりも、自分でやりたかったことは、ありたい姿は何だったのか、に気づいてしまった。

そう思うと、最早いてもたってもいられなくなり、やりたかった仕事をやるために独立の道を選んだ、と言う。

その感覚、良くわかる。

自分は本当はどうありたいのか、に気づいてしまうと、もう戻れない。

そして、

チャレンジ出来る可能性があると感じられたら、もはや踏み出さずにはいられない。

私はもう大企業には、大きな組織には戻れない。誰かが決めた世界には、戻れない。

もともとそういう人間ではなかった。自分で作りあげたい人間だった。そのことに気づいてしまった。

今が楽しい。

明日をも知れないような、このヒリヒリとした世界観が、生きている実感をもたらしてくれている。

このビジネスは大きく化けるかもしれないぞ、という夢がある。

ブログを始めたのも夢がある。

チャレンジを出来ている環境に感謝しつつ。

自分のキャリアパスを、自分の世界を自分で作っていくことを、これからも追いかけ続けていくことだろう。

昇る朝陽

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